『複眼の映像』を読んで

taishiho2008-04-24


生きているということは、
出会うということなのかもしれない。
入院、シナリオ、伊丹万作黒澤明
そんな出会いが橋本忍の人生を決定付けた。


『複眼の映像』というタイトルは共同脚本で作られた映画ということだろう。
シナリオをずっと一人で書いていると、どうしても限界があり行き詰まってしまう。
しかし、共同脚本ならまだまだ面白いものが出てくる未知数と可能性を秘めている。
共同脚本でオリジナリティ溢れるシナリオが生まれることによって優れた監督が育つ。
黒澤明になる条件は優れた感覚と才能があり高水準の映画脚本が書ける人であると同時に
周辺に高水準のライターが三、四名実在し作品ごとにチームを組み内二人が競争して書く。
(これはビートルズがオリジナリティ溢れるヒット曲を量産していたことを思い起こす。)

羅生門
どうしてもうまくいかなくて、もがき苦しむ。
読んでいて、そこが一番面白い。
黒澤明に「藪の中」の脚本が短すぎると言われ、
衝動的に「羅生門」を入れてみてはと言ってしまう。
自分で言っておきながら、どうあがいても、どうしてもうまくいかない。
しかし、黒澤明の頭の中には何かが閃いた、その閃きを掴むために一切を捨てた。

『生きる』
映画の製作に一番大切なのは脚本で、その脚本にとり最も重要なのは
一にテーマ、二にストーリー、三に人物設定(構成を含む)である。
「後、七十五日しか生きられない男」それがこの映画のテーマだ。
・・・生涯何もせず、死ぬ間際になり、仕事を一つだけして死んだ男。
主人公の渡辺勘治五十二、三歳、(今の私と同じ歳ではないか!)

七人の侍
「ある侍の一日」の資料がどうしても集まらない。そんなものはこの世に存在しないのだ。
「日本剣豪列伝」・・・クライマックスだけでつなぎ一本の映画をなんて間違いだったんだ。
何をやってもうまくいかない。このままではもうおしまいかもしれない。
「武者修行」について、黒澤明、本木荘二朗と三人で話し合っていた。
本木荘二朗が言った言葉。「百姓が侍を雇う」この一言から全てが動き出した。
七人の侍」はもがき苦しんで、それでも最後まであきらめなかったからこそ生まれた。
没になった「ある侍の一日」も「日本剣豪列伝」も全て「七人の侍」に生かされた。

[黒澤明の『七人の侍』、ハリウッドでリメイク決定]

米映画制作会社The Weinstein Companyが自社の2億8,500万ドルに上るアジア映画ファンドで黒澤明監督の『七人の侍』(1954)をリメイクすることを発表した、と米Variety電子版が報じている。
今年の9月以降にクランク・インし、2009年の公開を目指す。

キャスティングに関しては、米国内はもちろん、ヨーロッッパやアジア圏からも俳優を広く起用する方向。監督は現在、The Weinstein Company内で協議中だという。

日本では「隠し砦の三悪人」がまもなく公開される。
観るのはちょっと恐いけど、どんな風になっているのか興味はある。
いずれにしても、ビートルズと同じように、
いいものは時間が経っても話題になり続ける。