「サイモン&ガーファンクル」

taishiho2006-07-13

僕が最初に洋楽に目覚めたのは、6歳上の兄が買ってきた
サイモン&ガーファンクルのシングル盤を聴いてからでした。
ラジオから流れる曲は耳に入ってきましたが、レコードを
まだ買ったばかりのプレ−ヤーで聴くこと自体、新鮮でした。
そのシングル盤は「サウンド・オブ・サイレンス」と
ミセス・ロビンソン」のカップリングでした。
レコードがあまりなかったせいもあるでしょうが
僕は、このレコードを繰り返し何度も何度も聴きました。
そして、いつのまにかサイモン&ガーファンクルが大好きになってしまいました。
その後、自分でも「スカボロフェアー」などのシングル盤を買うようになりました。
ギターを覚え始めて、最初に弾いた洋楽の曲はやっぱりサイモン&ガーファンクルでした。
ビートルズの曲もチャレンジしましたが、ひとりで弾いて歌うのはなかなか難しかったです。
その点、ポール・サイモンの作った曲は弾き語り向きだったのでよく歌ってました。


ポール・サイモンは1955年、小学校時代からの友人アート・ガーファンクルと共にデュオグループ「トム&ジェリー」を結成し、1958年に「ヘイ・スクールガール」をヒットさせ、1964年にはサイモン&ガーファンクルとして「水曜の朝、午前3時」をリリースするが注目を集めることはなくポール・サイモンは失意の内にひとりロンドンでの音楽活動を始める。

ところが『水曜の朝、午前3時』から「The Sound Of Silence」をアメリカのFM局が流したところ大反響。これに注目したレコード会社のトム・ロビンソンというプロデューサーがポール・サイモンに無断でエレクトリックギターとドラムスをオーヴァーダビングしてシングルとして発売。これが一挙にヒット・チャートを駆け上るヒットとなった。ポール・サイモンがこの成功を知ったのは街角で手に取ったビルボード紙だったという。

そして1968年、ニューシネマの代表作であると同時にラブ・ストーリーの定番ともなった映画「卒業」(マイク・ニコルズ監督、ダスティン・ホフマンキャサリン・ロス、アン・バン・クロフト出演)のサウンド・トラック・アルバムの発売は、彼らの人気を決定づけた。


写真はアルバム「ブックエンド」のジャケットですが、僕が当時聴いていた「サウンド・オブ・サイレンス」のシングル盤にも、これと同じ写真が使われていました。