『みかん』


『ウンシュウミカン』
日本の代表的な果物で、バナナのように、素手で容易に果皮をむいて食べることができるため、冬になれば炬燵の上にミカンという光景が一般家庭に多く見られる。「冬ミカン」または単に「ミカン」と言う場合も、普通はウンシュウミカンを指す。

甘い柑橘ということから漢字では「蜜柑」と表記される。古くは「みっかん」と読まれたが、最初の音節が短くなった。
ウンシュウミカンの果樹中国の温州にちなんでウンシュウミカンと命名されたが、温州原産ではなく日本の鹿児島県(不知火海沿岸)原産と推定される。鹿児島県長島は小ミカンが伝来した八代にも近く、戦国期以前は八代と同じく肥後国であったこと、1936年に当地で推定樹齢300年の古木(太平洋戦争中に枯死)が発見されたことから、この説で疑いないとされるようになった。発見された木は接ぎ木されており、最初の原木は400 - 500年前に発生したと推察される。中国から伝わった柑橘の中から突然変異して生まれたとされ、親は明らかではないが、近年のゲノム解析の結果クネンボと構造が似ているとの研究がある。

ウンシュウミカンは主に関東以南の暖地で栽培される。温暖な気候を好むが、柑橘類の中では比較的寒さに強い。5月の上・中旬頃に3cm程の白い5花弁の花を咲かせ、日本で一般的に使われているカラタチ台では2-4mの高さに成長する。

日本にはタチバナと沖縄にシークヮーサーが原生していたが、3世紀の日本の様子が書かれた『魏志倭人伝』には「有薑橘椒蘘荷不知以爲滋味」(生薑、橘、山椒、茗荷があるが、それらを食用とすることを知らない)と記されており、食用とはされていなかったと考えられる。

日本の文献で最初に柑橘が登場するのは『古事記』『日本書紀』であり、「垂仁天皇の命を受け常世の国に遣わされた田道間守が非時香菓(ときじくのかくのみ)の実と枝を持ち帰った。」(日本書紀の訳)との記述がある。その後も中国からキンカンやコウジ(ウスカワミカン)といった様々な柑橘が伝来したが、当時の柑橘は食用としてよりもむしろ薬用として用いられていた。