『緒形拳さん死去』

この知らせを聞いてとてもショックでした。
NHK大河ドラマ太閤記』で初めて緒形拳さんを見たときから
個性的で存在感のある骨太の役者だと思いました。
次の『源義経』の弁慶役も、特にラストシーンが大変印象に残りました。
映画「鬼畜」「復讐するは我にあり」では深い味わいのある演技に圧倒されました。
TV「必殺仕掛人」の藤枝梅安役もはまっていて、いつも楽しみにしていました。
ご冥福をお祈りします。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

『緒形 拳』
本名 緒形 明伸
おがた あきのぶ
生年月日 1937年7月20日
没年月日 2008年10月5日(満71歳没)
出生地 東京都新宿区
職業 俳優
ジャンル 舞台、映画、テレビドラマ、ナレーター
活動期間 1960年 - 2008年
活動内容 1958年:新国劇入団
1960年:舞台『遠いひとつの道』でデビュー
同年:同名映画でスクリーンデビュー
1965年:『太閤記
1968年:新国劇退団
1969年:『風林火山
1972年:『必殺仕掛人
1975年:『必殺必中仕事屋稼業』
1977年:『八甲田山
1978年:『鬼畜』
1979年:『復讐するは我にあり
1980年:『わるいやつら
1982年:『峠の群像
1986年:『火宅の人』
1989年:『将軍家光の乱心 激突』
1991年:『太平記
2007年:『風林火山
主な作品
映画:八甲田山、鬼畜、復讐するは我にありわるいやつら、火宅の人
テレビ:太閤記必殺シリーズ峠の群像
[受賞]
日本アカデミー賞
第2回・3回・7回・10回主演男優賞(1978年度、1979年度、1983年度、1986年度)、
ブルーリボン賞
第26回主演男優賞(1983年度)
その他の賞
紫綬褒章(2000年)

[来歴・人物]
1957年、東京都立竹早高等学校卒業後、あこがれていた新国劇辰巳柳太郎の門を叩き、1958年に新国劇に入団し、辰巳の付き人になる。下積みの彼の才能を評価し抜擢してくれたのは辰巳ではなく新国劇のもう一人の雄島田正吾であった。1960年、『遠い一つの道』でボクサー役に抜擢され、映画化された作品では島田正吾と競演し、映画デビューを果たす。

1965年、NHK大河ドラマ太閤記』の主役に抜擢され、お茶の間の人気を独占する。この間も新国劇を休むことは許されなかった。 1966年、NHK大河ドラマ源義経』の弁慶役を演じる。新国劇所属の女優、高倉典江と結婚。 1968年、新国劇を退団し、フリーになる。テレビに映画にと精力的に出演し、テレビでは『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安役で好評を博する。

1978年、野村芳太郎監督作品『鬼畜』に出演。その演技は秀逸でその年の男優賞を総なめにする。その後も、1979年に『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、1983年に『楢山節考』(今村昌平監督)に出演し、高い評価を得る。また、1999年、池端俊策監督の『あつもの』で、「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受ける。

2000年、紫綬褒章受章。

2008年10月5日、逝去。享年72(満71歳没) 。同年10月9日から放送が開始されるフジテレビ系木曜劇場風のガーデン』が遺作となった。
[芸名]
芸名の「緒形拳」は、劇作家北条秀司の夫人によってつけられたもので、元々は「おがた こぶし」という読みであった。

芸名の候補として、「緒形 寅蔵(おがた とらぞう)」、「緒形 掌(おがた てのひら)」、「緒形 握り拳(おがた にぎりこぶし)」などの案が上がったという。「お前の特徴は何だ」と聞かれて、とっさに「うーん、手かなあ」と答えたことから、手に関連するあらゆる単語が(現実的でないものも含めて)連想的に挙がったという。最終的に「緒形 拳(おがた こぶし)」と決めたが、周囲の誰からも「こぶし」と読まれず、「ケンさん、ケンさん」と呼ばれ続けた為に、意に反してそちらが定着してしまった、という逸話がテレビ番組『トリビアの泉』で明かされた(2006年3月1日放送)。バラエティ番組への出演は断り続けてきた緒形だったが、同番組のファンだということで「『トリビアの泉』だったらいいよ」と快諾したという。このエピソードは『徹子の部屋』にゲスト出演した際も話している。この時「自分の中では拳(けん)ではなく、今も緒形 拳(こぶし)なんです。」と語っていた。


[ドラえもん]
同日の『トリビアの泉』では、映画を観に行った際に時間つぶしに寄ったゲームセンターで、ドラえもんのぬいぐるみをゲットしたことからドラえもんが好きになり、大事にしているというトリビアも紹介された。3つも取ってしまい、大きさ50cmほどのぬいぐるみを3つ抱えて映画館に入ったという。だが、興味が有るのがドラえもんだけのためか、それ以外に知っているのはのび太くんだけであり、ドラえもんに耳があったことや、妹のドラミちゃん、しずかちゃん、ジャイアン等の存在は知らなかったようで、「これはゲーセンにないね」と発言し視聴者を笑わせた(しかもポイっと下に落としている)。

この話は後日『徹子の部屋』でも披露された。連日のゲームセンター通いは良い息抜きになり、ドラえもんの愛嬌のある姿に随分と癒され、俳優生活の励みになったという。


[性格]
堅物で真面目な性格から、親友の津川雅彦から若い女性との合コンに誘われた際、参加するかしないかを真剣に迷った末に、「雅彦、オレやっぱりどうしても行く事ができない」と思いつめたような声で断りの連絡をしたという。それを聞いた津川からは、「お前がその事で悩んだのは(堅物にしては)大きな進歩だ」と褒められた。

演技が下手な役者には容赦しない面があり、鉄拳制裁を行うことも珍しくなかった。それが子役であっても同様であった。しかしこういう厳しい姿勢が結果的に質の高い素晴らしい作品を生み出してファンの人々の厚い支持を得たのも確かである。舞台人として演技に高いプライドがあることがうかがえる。

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