『椎名誠が見た!シベリアの東北』

taishiho2007-05-02

     〜極北の狩人を追う〜

先日、深夜に放送されていたので録画して、後日観ました。
このドキュメントは昨年2月に放送されたものの再放送です。
(とても画像が綺麗で、音響も素晴らしいので録画してよかった♪)
椎名誠は60歳を過ぎても、この極寒の中で元気にアザラシの生肉を食べていました。
椎名誠は「毎日、食べる事に全く困っていない裕福な人たちが、アザラシを捕ることに抗議するのは、どうもおかしい。」というようなことを言っていました。同感です。

 仙台を拠点に置くKHB東日本放送では、これまでにアラスカ北極圏やロシア、南米、東南アジアを舞台とした数々のドキュメンタリー作品を全国に発信してまいりました。2004年2月放送の「アラスカの星〜フランク安田」では宮城県石巻市出身の男性がアラスカのエスキモーのリーダーとして民族を救った事実を、宮城県出身の俳優中村雅俊をリポーターとして描きました。
一方、作家椎名誠は、モンゴルの草原から南米大陸の南端パタゴニアの島まで、我々日本人と同じ顔をしたモンゴロイド先住民族の生活に飛び込み、興味深い作品を発表してきました。しかし、そんな作家椎名誠にとって北極圏は未知の地。今回KHBからの熱いラブコールに応えて、極北に生きるモンゴロイドをテーマに、TVドキュメンタリーと同時並行で「小説現代」に連載するというコラボレーションが生まれました。
  プライドをもって、自らを『エスキモー=生肉を食らう人』と呼ぶ人々。文明化の波が世界の辺境にまで及んでいくなか、極北の狩人たちの生活も大きく変化しています。アラスカを皮切りにカナダ、ロシアと続く旅の中で作家椎名誠が出会っていく感動をKHBのTVカメラが記録していきます。

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  2005年12月・・・。KHBクルーは家屋の断熱材を使った手作りのカメラカバーを駆使して、氷点下20度!強風が吹き荒れるシベリアでの撮影を敢行。作家椎名誠に負けずワイルドでパワフルな取材を行ないました。


2005年2月、アラスカ最北端のバローに作家、椎名誠は立った。氷点下40℃。約100年前、この極北の村でエスキモーのリーダーとして活躍した宮城県出身のフランク安田の足跡を辿る旅である。この地で椎名は、日本人の安田がエスキモーに仲間として受け入れられた最大の理由が「安田がエスキモーと同じモンゴロイドだった」ことにあることを知る。
カナダのモンゴロイド先住民イヌイットの村に滞在した経験がある椎名は、バローのエスキモーたちからロシアにもエスキモーが居ることを聞き、彼らに会うことで「日本人」を考えたいと思い立つ。
ロシアのエスキモーは現在約1200人。そのほとんどがシベリア最東端のチュコト自治区のチャプリノ村とシレニキ村に住んでいる。ツンドラのためあたり一帯に道は無く、村に入るためには滑走路がある町プロビデニアまで小型飛行機で飛び、雪上車やソリ、ヘリコプターを乗り継いで移動するしかない。椎名ははじめロシア側から入ろうとするが、チュコト自治区の州都アナディールから先は移動手段がほとんど無いことがわかり断念。アラスカ・アンカレッジからベーリング海沿岸のジュノーに入り、8人乗り小型機をチャーターして国境を越え、プロビデニアに直接入る方法を選ぶ。

こうして2005年12月、日本から5日かかって椎名とKHB取材班は現地に入る。気温は氷点下15℃から20℃とアラスカよりは温かい。しかし、ベーリング海峡に近いこの地域は風が強く、体感温度は氷点下45℃にも下がる。戦車のように巨大な雪上車で凍てつく峠を越えエスキモーの村に入った一行は、民家に泊まりながらエスキモーの暮らしを体験することに。
人口458人のチャプリノ村は深い入り江の奥にある集落。そこで海に張った厚い氷を割って何かを採っている村人を見かける。よく見ると、それは天然のホヤ!しかも、彼らはそのホヤをなんと生食するのだ。縄文やアイヌ民族の痕跡が今も残る三陸沿岸と同じ食文化がそこにあった。魚介類や肉を生食する習慣があるモンゴロイドの特徴がここでも実証されたのだ。

ホヤ採りをした翌日、村人たちは狩りに出かけようとした矢先、チャプリノ村周辺は猛烈なブリザードに見舞われる。猟はもちろん村の中を歩くことすらなかなかできない。風雪をもたらした低気圧はこの後3日間居座り、生肉が不足してきた。野菜や果物がまったく育たないこの地では、鯨やアザラシ、セイウチの生肉からビタミンを摂取するしかない。食生活のロシア化が進んでいるとはいえ、生肉の不足は村人の生存を脅かす大きな問題なのだ。

4日目の朝、天気は回復しないが村人の一部が狩りに出た。まだ氷結していない海との境まで行き銃でアザラシを狙う。ようやくの思いで1頭をしとめるが割れやすい氷の縁は危険で獲物を回収できない。結局成果なし。

その翌日、ようやく低気圧が去り久しぶりに太陽が顔を出す。この時期は夜が長い極北のチャプリノ村では昼が4時間程しかない。それだけ陽の光は貴重だ。エスキモーは太陽を称える唄を歌う。日の出とともに村人たちは勇躍に海へ向かって氷上をスノーモービルで駈ける。そして瞬く間にアザラシを狩っていく。

彼らはなぜ、このような極寒の、何も無いツンドラに代々住みつづけているのだろうか。同じモンゴロイドの末裔でも、モノに溢れ、飽食の日本人とは対極の生活。しかし、エスキモーの村人たちは豊かな表情と温かい心をもっていた。物質的には豊かでも、陰惨な事件が続発する今の日本とどこが違うのだろうか。作家、椎名誠がその思いを語る。