『植木等』

taishiho2007-03-28

昨日、植木等さんがお亡くなりになられました。
植木等さんは、僕の憧れの人でした。
今日は、クレイジーキャッツの思い出を書きたいと思います。


あれは、いつの頃だったのだろう。家でテレビを買った時のことです。
電気屋さんがお得意様を「クレイジーキャッツショー」に招待してくれました。
ラッキーなことに、母は「行ってくれば」と僕にその招待券を渡してくれたのです。
その頃、末っ子の僕は「スーダラ節」を家族の前で披露したこともあり
母は、僕が植木等ののファンであることを知っていたからかもしれなません。
僕は、電気屋さんで用意してくれたバスに乗り、高鳴る胸を抑えていました。
それまで僕はテレビ以外の生でショーを観たことはありませんでした。
場所は確か太田市民会館だったと思います。
ショーが始まり、リーダーのハナ肇が話し始めました。
「群馬というといつも一緒にやっている園まりちゃんがこちらの出身ですね。」
やがて、テレビで何回か観たことのあるコントをやり始めました。
クレイジーキャッツは基本的にバンドだから楽器を使ったコントが中心になります。
練られて完成されたコントは何度観ても飽きないで楽しめるから素晴らしいです。
舞台で、生で観るクレイジーキャッツはテレビと違い迫力がありました。
これを観られたことは、今にしてみれば二度と体験できない貴重な僕の宝物です。



クレイジーキャッツは僕たちに元気を与えてくれ世の中を明るくしてくれました。
僕は植木等さんとクレイジーキャッツに心からありがとうと言いたいです。
植木等さんのご冥福をお祈りします。

ハナ肇とクレージーキャッツ
ハナ肇とクレージーキャッツは、日本のジャズ・バンド。元々は、「キューバンキャッツ」の名で、進駐軍相手に演奏していたが、アドリブが面白く"You are crazy."と言われたことから「クレージーキャッツ」に改名した。渡辺プロダクション所属。

バラエティ番組に出演し、コントを演じるようになってからコントグループと見られるようになってしまった。

1960年代に一世を風靡したコミックバンド。「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)「おとなの漫画」(フジテレビ)などのテレビ出演をきっかけに人気が爆発。映画にも進出し、クレージーの出演作は東宝のドル箱シリーズとなった。映画の挿入歌として発表されたシングル『スーダラ節』『ハイそれまでョ』『ドント節』なども軒並み大ヒット。しかし次第に植木・ハナ・谷らの主要メンバー個人での活動が多くなり、石橋エータローが1971年に脱退したころにはめっきりグループで活動する機会が減ってしまった。1980年代以降は、コメディアンというよりは各人俳優としての性格が濃くなり、実質的な解散状態になった。その後も幾度かグループで出演したこともあるが、1993年1月のハナ肇の死去により、正式な解散宣言が植木等より出された。この宣言は翌日には撤回されているが、これ以降クレージーキャッツとしての活動は行われていない。
ハナ肇(ドラムス)
1930年東京府豊島郡(現豊島区)生まれ。芸名の由来は鼻を膨らませる顔芸が好評であった事と、「ハナ(朝鮮語で"「ひとつ」の意")」「はじめ」と物事の一番目を表す言葉を並べる事で縁起を担いでいる事からきている。進駐軍のキャンプ地などでドラム奏者として活躍。その後犬塚弘萩原哲晶らと、クレージーキャッツの前身である「キューバンキャッツ」を結成。その後、1956年「ハナ肇とクレージーキャッツ」を結成、バンドマスターとなる。1970年代「巨泉・前武ゲバゲバ90分!!」の「あっと驚く為五郎」のギャグで全国区的な人気を得る。晩年は、俳優としても活躍していた。1993年肝臓ガンのため死去。
植木等(ボーカル、ギター)
1927年、三重県浄土真宗の寺の息子として生まれる。本名同じ。東洋大学卒。いくつかのバンドを経て、1957年3月シティ・スリッカーズから谷啓らのいるクレージーキャッツに参加。「無責任男」をキャッチフレーズに数多くの映画に出演。ボーカルとして歴史に残る数々のコミックソングを産み出し、テレビでも「お呼びでない?」など歴史に残るギャグで爆発的な人気を得る。また、1990年には過去のヒット曲メドレー『スーダラ伝説』で人気が再燃し、紅白歌合戦にも出場した。ハナ肇の葬儀の席で「ハナ肇とクレージーキャッツは本日を持ちまして正式に解散いたしました」と解散宣言を行ったのも彼である。晩年は、各種テレビ番組に出演のほか、俳優としても活躍した。2007年肺気腫のため死去。
谷啓トロンボーン
1930年、東京府荏原郡(現大田区)生まれ。広島と横浜で育つ。本名は、渡部泰雄(わたべ やすお)。芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。中央大学中退。大学在学時からトロンボーン奏者として各種バンドで活躍していた。1956年2月シティ・スリッカーズからクレージーキャッツに参加。「ガチョン」(現在は「ガチョーン」)や「ビローン」、「あんた誰?」といった各種ギャグで不動の人気を獲得。トロンボーン奏者・コメディアンとしてだけではなく、俳優としてもTBSの『時間ですよ』シリーズや映画『釣りバカ日誌』シリーズなどで活躍。
犬塚弘(ベース)
1929年東京大森の生まれ。文化学院卒。IBM勤務などを経て、クレージーキャッツに参加。キューバンキャッツ時代から加していたメンバーである。クレージーのベーシストのほか、映画に多数出演。現在も、舞台・テレビ・映画などで確かな味の出せる俳優として活躍中である。
安田伸(テナーサックス)
1932年東京都中野区の生まれ。東京芸術大学卒。石橋エータローらと、バンドで活躍後、1957年9月、石橋エータローの紹介でクレージーに参加。サックス奏者以外にも映画などで活躍したが、晩年はガンとの闘病が続いた。1996年に急性心筋梗塞で死去。
石橋エータロー(ピアノ)
1930年東京・新橋の生まれ。父親は、作曲家で尺八奏者の福田蘭堂。東洋音楽大学(現東京音楽大学)卒。安田伸らとバンド活動後、1956年に世良譲の紹介でクレージーに参加する。1960年に結核で一時離脱。代わりに、ピアノ奏者として桜井センリが加わる。その後、クレージーに復帰するも、1971年に引退。料理研究家として、魚料理の本などを執筆していた。1994年に胃ガンのため死去。
桜井センリ(ピアノ)
1924年(公称は1930年)ロンドンの生まれ。早稲田大学第一政治経済学部に学ぶ。植木等らとバンドのピアノ奏者として活躍。石橋エータロー結核療養による活動休止のため、クレージーに参加。石橋エータロー復帰後もメンバーとして活躍。金鳥の殺虫剤「キンチョール」のCMに出演した際、「ルーチョンキ」のギャグで好評を博す。現在も、俳優として活躍中である。女形としても活躍していた。
[テレビ]
おとなの漫画
8時だョ!出発進行
クレージーキャッツショー
週刊クレージー
シャボン玉ホリデー
7時半だよクレージー
センリばあさんのクレージー大変記
ハイ、やりました!!
おれの番だ!
クレージーの待ッテマシタ!
クレージーの奥さ〜ん
植木等ショー
ウィキペディアWikipedia)』より